2016年12月28日水曜日

私がフィデルだ 【その1】


フィデル逝去を伝えるラウル・カストロ議長
ご無沙汰しておりました。
久しぶりの更新です。


11月22日から12月20日までの約1カ月間、キューバに滞在していました。
20回目ほどになるキューバへの旅ですが、今回は、フィデル・カストロ前議長の逝去という大きなニュースに立ち合うことになり、特に忘れ難い旅となりました。

フィデルが亡くなった11月25日、私はCUBAPON(日本キューバ連帯委員会)2016年友好訪問団の皆さんとともに「革命のゆりかご」と呼ばれている街、サンティアゴ・デ・クーバにいました。
朝一番の飛行機でハバナからサンティアゴ・デ・クーバへ。隣のオルギン州のビランにあるフィデル・ラウル兄弟の生家を訪ね、サンティアゴ市内に戻り、革命がここから始まったと言われるモンカダ兵営襲撃博物館、1959年1月1日、フィデルが革命成功を宣言した市役所のバルコニー、最後にホセ・マルティが眠るサンタ・エフィヘニア墓地を訪ねました。

生家にはカストロ家のお墓もありますが、そこでは「フィデルが亡くなったら、ここではなく、サンタ・エフィヘニア墓地に埋葬されることになっている」という説明を受けました。
「そんなこと、もう決まっているんですか?」
「ええ、埋葬する場所が確保されてますよ」
生家の案内係の人とそんな会話をしました。

モンカダ兵営は、革命に向けてフィデルが最初に大きなアクションで起こした場所です。展示物も係の人の説明も、当然フィデルのことに集中します。兵営襲撃は失敗に終わったものの、それこそが「革命の第一歩」であり、サンティアゴが「革命のゆりかご」と呼ばれる所以でもあります。
そして、サンタ・エフィヘニア墓地へ。
ホセ・マルティ廟の近くに建つモンカダ兵営で命を落とした青年たちのモニュメントの隣に、ぽっかりと空いた区画がありました。そこで「フィデルが亡くなったらここに埋葬される予定です」という説明がありました。

生家から埋葬予定地まで、フィデルの足跡を駆け足で巡ったような一日でした。
それにしても、1日に2度も「フィデルが亡くなったら」という話を聞くとは・・・。
何だか不思議な気がしました。

その日の夜、22時29分。
フィデル・カストロ前議長が永眠されました。


2 件のコメント:

  1. キューバウオッチ、頑張ってください。今からが正念場です。有理

    返信削除
  2. コメントありがとうございます。更新するための時間がなかなかとれなくて気が揉めますが、長い目でみてください。

    返信削除